small logo 心理学と統計的検定


(注)この短文は日本心理学会「心理学ワールド」第42号(2008年7月号)の小特集「心理学的検定の哲学」に掲載されたものの原稿です。実際に掲載されたものとは細部が異なる場合があります。なお執筆にあたっては村井潤一郎氏(文京学院大学)から多大な援助を受けました。

心理学と統計的検定(渡邊芳之)

 科学としての心理学にとって大きな問題は,心理学者が人間の心的機能や行動について観察や測定,実験や調査などの方法を通じて知り得たことが,ほんとうに客観性を持った事実,科学的に意味のある事実といえるのかどうか,ということである。

 高校生と大学生それぞれ30人に数学の問題を解かせたところ,高校生の平均点は76点,大学生の平均点は70点であったとする。平均点の間には確かに差があるが,この6点の差は,高校生より大学生の方が数学力が低いことを示すような顕著な差なのだろうか,それとも無視してよい差であり,高校生と大学生の間にとくに違いはないとみるべきなのだろうか。

 それを研究者が自らの期待や目的のみに基づいて主観的に判断してよいのなら,心理学の科学性は怪しくなる。こうした判断に客観的な基準を求める心理学者たちが,20世紀を通じてもっとも多く利用してきた判断基準のひとつが統計的検定である。

心理学への統計的検定の導入

 フィッシャーらによって統計的検定を含む推測統計学の基本的な考え方が確立されたのは1920年代のことだが,それが心理学に爆発的に導入されたのは1940年代から1950年代にかけてである。わが国でも,「心理学研究」の掲載論文における統計的検定の使用率は,1948年には4.3%に過ぎなかったものが1955年までのわずかな期間で81.3%まで増え,2000年には実に93.8%の論文がなんらかの統計的検定を用いるようになっている(Omi & Komata,2005)。

 これほどまでに信頼され,利用されている統計的検定の手続きは,いったいどのような論理で,観察された事実の客観性を保証すると考えられるのだろうか。

帰無仮説とp

 統計的検定では,観察された人や事象をより大きな母集団から偏りなく抽出されたサンプル(標本)であると仮定したうえで,サンプルで観察された事実と,母集団における事実との関係を考えていく。数学の例でいえば,30人の高校生は高校生全体という母集団から抽出されたサンプル,30人の大学生は大学生全体という母集団から抽出されたサンプルということになる。

 まず最初に,観察されたような事実は母集団には存在しないという仮説(帰無仮説)を置く。高校生全体と大学生全体とを比較したときには数学の平均点には差がない,と仮定するのである。そのうえで,帰無仮説が正しいにもかかわらず,サンプルで観察されたような事実がそのサンプルでだけ偶然に生じる確率を統計学的に導く。この確率がp値である。

有意水準と有意差

 平均値の差の場合,2群の平均値とその差,それぞれの標準偏差,サンプルサイズ(サンプルの人数)をもとに,検定統計量tを計算する。帰無仮説が正しいときにtが偶然にとりうる値はt分布という確率分布にしたがうので,t値と自由度(サンプルサイズを反映)からp値を求めることができる。

 p値が大きい場合には,その差は帰無仮説が正しくても偶然に生じうるものと考えられるから,帰無仮説を採択する。しかしp値がとても小さい場合には,その差は偶然とはいえず,帰無仮説を棄却して,母集団でも差があるという仮説(対立仮説)を採択する必要が生じる。

 数学の例では,高校生の平均点が76.0点(SD=6.8)大学生の平均点は70.0点(SD=7.2)とすると,t値は3.32となる。自由度58のt分布から,帰無仮説が正しいにも関わらず偶然にこれ以上のt値が得られる確率,つまりp値は0.002(0.2%)であることがわかる。

 このとき,p値がどのくらい小さければ帰無仮説を棄却できるかの基準を有意水準という。一般に有意水準は5%または1%をとることが多い。数学の例ではp値は1%以下なので帰無仮説は棄却される。よって,高校生と大学生の数学の平均点には統計的に有意な差があり,母集団でも高校生の平均点が高いことが推測できる。

統計的検定の位置づけ

 このように,統計的に有意であることは,サンプルで観察された事実が特殊なものではなく,より普遍的な事実と結びついていることを示すと考えることができる。このことから心理学者は,自分の観察した事実が統計的に有意であるときだけ,それを客観的で意味のある事実とみなし,有意でないときには偶然や主観の入り込む余地を認めることによって,観察に基づく判断の客観性を担保してきたのである。

 その意味で,科学としての心理学の発展に統計的検定が果たした意味は非常に大きいといえる。いっぽうで,心理学における統計的検定の用法が統計学的な原理と一致しているのかについては懐疑的な意見も多い。とくに,統計的検定の前提であるサンプルの母集団からの無作為抽出に心理学が無頓着であることはよく指摘される。

 それ以前に,統計的に有意でない事実もやはり事実であり,一定の条件や文脈のもとでは大きな意味を持ちうることも忘れてはならない。個人の文脈や主観的事実を重視する質的アプローチがおしなべて統計的検定の利用に批判的であるのはそのためである。

引用文献

Omi,Y. & Komata,S (2005). The evolution of data analyses in Japanese psychology. Japanese Psychological Research, 47, 137-143


帯広畜産大学心理学研究室