研究事業の背景
我が国の馬生産において、受精卵移植により生産された馬はここ5年で10頭以上が登録され、技術の普及定着事業は開始されているが、体外受精によって出生した馬はいまだ記録されていない。
申請者は、平成29年度から令和元年度にかけて、安全に実施可能な乗馬の資源確保が非常に難しい状況を鑑み、国内で24年間実施されてこなかった馬の受精卵移植(胚移植)の手法を、障がい者乗用馬ならびに在来馬の生産に利用可能か否かを科学的に実証するために、「障がい者乗用馬ならびに在来馬の生産法確立事業」を実施した。その事業では、障がい者乗馬の用途に適していると考えられる、コネマラポニー種の凍結精液を利用し、人工授精と受精卵移植技術を用いて、同一年度に3頭の全きょうだいの生産を2年連続で成功し、受精卵移植による障がい者乗用馬等希少な馬の効率生産法に成功し、日本馬事協会に認定されている日本在来馬8種などの希少な乗用馬の生産に大きな道筋を立てることができた。
続いて、令和2年度から令和4年度にかけて、前事業における馬の受精卵移植(胚移植)の手法をさらに応用普及させるために、「受精卵による障がい者乗用馬等の生産法確立事業」を実施した。長野県の天然記念物に指定されている希少な木曽馬の受精卵を採取し、同日に空路にて北海道へ室温で輸送、レシピエントの北海道和種馬に移植し、希少な日本在来種馬である木曽馬をドナーとした受精卵移植による子馬の生産に成功した。木曽馬の中でも妊娠が困難な腰痿の雌馬から複数の受精卵を回収できた意義は極めて大きい。当該研究では受精卵の室温遠隔輸送による希少日本在来種馬の生産法を確立することができたことから、空路を利用した日本を縦断するような長距離輸送をも可能にすると考えられ、今後の技術の普及定着が期待される。
同様に令和4年完了予定の事業において画期的な開発となった成果が、受精卵の凍結保存技術の確立である。受精卵の凍結保存前に、レーザー穿孔技術を用いることにより、22個の受精卵の凍結保存を実施し、うち15個を融解後にレシピエント(代理母馬)に移植し、4頭の生産および2頭の妊娠(受精卵移植成功率40%)の成果を得た。一般に直径0.3mm以上の馬受精卵の凍結保存は受精卵移植成功率が0-36%と低いことが報告されている。これに対して、本事業で成功した受精卵凍結保存技術は、海外の凍結受精卵移植研究を上回る成果となった。加えて、カプセル穿孔後の弊害となる、カプセルからの栄養膜細胞の脱出する現象は全く見られず、レーザー穿孔技術が最小の侵襲により効率的に内部自由水の脱出を促したものと考えられた。馬受精卵の凍結保存技術の確立は、希少な馬の受精卵の半永久的保存を可能にする技術である。この技術がより安定的に実施可能となり、かつ一定時間(10時間)の輸送の後に凍結保存が可能となれば、帯広畜産大学や他の研究機関において、馬の受精卵の保存が可能となり、随時移植可能な凍結保存を可能とするものと解される。
上記の先行2事業により、1)1頭の牝馬から同一年度に複数の受胎・出産を達成し、これまでに合計15頭の受精卵移植による受胎、生産の実績を上げていること、2)受精卵移植技術を馬生産関係団体(JRA日高育成牧場、JA岩手、独立行政法人家畜改良センター等)へ技術指導し、馬の受精卵移植実施に結び付けたこと、3)新鮮受精卵を10時間以内に空路輸送することにより、生産が可能であること、さらに4)子宮から回収した受精卵を凍結保存する方法としてレーザー穿孔技術を用いて低侵襲で穿孔することにより、移植妊娠率の高い凍結受精卵保存法を成功させたこと、の4つの成果を得られた。これらは、今後の研究事業の道筋を立てる上で重要なステップを克服した価値ある研究成果であり、国内では帯広畜産大学が先導した研究分野であることが理解できる。
先行研究の成功体験を活かし、馬の体外受精技術による生産を可能にすることができれば、日本在来馬のような希少な品種の馬や、障がい者乗用馬のように貴重な使役馬として現役活動を継続する個体に対する生産方法として極めて有効であり、新しい馬生産方法を確立するうえで新規性・先導性を有しているものと考えられる。