事業成果のご報告
本研究事業では、受精卵の遠隔輸送法、馬の受精卵凍結法に着目し、効率的な馬生産法の確立を検討しました。
前事業では人工授精と受精卵移植が、障がい者乗用馬や在来馬などの必要とされている馬の効率的な生産につながることが証明されましたが、残された課題がありました。それは、受精卵移植には発情が同期化された良好なレシピエントが必要であり、馬受精卵の凍結保存は他の家畜と比べて非常に困難であることでした。
受精卵の室温輸送による在来馬の生産技術確立
レシピエント牝馬は健康で良好な気質を持ち、ドナー牝馬と同じくらいの体格であることが望ましいと言われており、日本国内での飼育頭数が多い北海道和種馬は木曽馬のような希少な日本在来馬のレシピエントとして最適であると考えられます。しかし、これには本州のドナー牝馬から受精卵を採取し、北海道和種馬が飼養されている北海道へ輸送する必要があるため、本研究事業では、日本では行われていない馬の受精卵の輸送法に着目し、飛行機を利用した遠隔地での受精卵移植法の確立を計画しました。
2020年、長野県木曽町の木曽馬の里で繁殖されている木曽馬の牝馬を受精卵提供馬(ドナー)として、帯広畜産大学で飼養している北海道和種馬2頭を代理母馬(レシピエント)として実施しました。
長野県の天然記念物に指定されている希少な木曽馬の受精卵を、同日に空路にて北海道へ室温で輸送、レシピエントの北海道和種馬に移植し、希少な日本在来種馬である木曽馬をドナーとした受精卵移植による子馬が2021年5月に誕生しました。
新鮮受精卵の移植では回収後室温(20℃)での保存かつ20時間以内の移植の場合に成功率が高いとされており、南北に長い日本で同日中に遠隔地で受精卵移植を行うためには、飛行機を利用して受精卵を輸送する必要がありました。本研究で、空路を利用した日本を縦断するような長距離輸送は可能であり、地理的に離れた北海道に飼養されている北海道和種馬は他の日本在来馬のレシピエントとすることが可能であることが実証できました。
今回、木曽馬の中でも妊娠が困難な腰痿の牝馬から複数の受精卵を回収できた意義は極めて大きく、怪我や繁殖系の問題を抱えた、通常の自然繁殖での妊娠継続が困難な牝馬や、高い受胎性を望むことが難しい高齢馬がドナーとして活躍出来ることは、受精卵移植の大きなメリットであると言えます。希少な日本在来馬のドナーから受精卵移植を複数回実施すれば、1年間に複数頭(3~4頭)の産駒を生産することが可能になります。遠隔地での受精卵移植法は、絶滅が危惧される日本在来馬への利用価値の高い手法であることが明らかとなりました。
障がい者乗用馬・在来馬受精卵の凍結保存技術確立
本事業において画期的な開発となった成果が、受精卵の凍結保存技術の確立です。家畜や人の生殖医療においては、精子や卵子、受精卵の凍結保存技術が確立されていますが、馬の受精卵は、他の家畜と比較して凍結が困難であることが知られています。それは馬の受精卵は外側に硬いカプセルがあり、細胞を凍結保存する際に使われる凍結保護剤(凍結保護剤は細胞の凍結時に、氷の結晶が細胞内にできることを防ぐために効果的だと考えられています)の浸透が難しいからです。また受精卵が大きいほど凍結保存が難しく、移植後の妊娠率は小さい受精卵よりも低いと言われています。
そこで、本研究では北海道和種馬に凍結精液を用いて人工授精をし、回収した受精卵にピエゾドリルおよびレーザー穿孔を利用して凍結保存を実施しました。
2020-2022年にかけて、受精卵の凍結保存前に、レーザー穿孔技術を用いることにより、22個の受精卵の凍結保存を実施し、うち15個を融解後にレシピエント(代理母馬)に移植しました。
その結果、4 頭の子馬の生産および2 頭の妊娠(受精卵移植成功率40%)の成果を得ることができました。一般に直径0.3mm 以上の馬受精卵の凍結保存は受精卵移植成功率が0-36%と低いことが報告されていますが、これに対して、本事業で成功した受精卵凍結保存技術は、海外の凍結受精卵移植研究を上回る成果となりました。世界で初めてレーザー穿孔技術を利用し、馬受精卵の外側のカプセルに穴を開けることで、細胞の脱水を促進し凍結保護剤を浸透させることに成功、大型馬受精卵の生存率を上げることができました。
受精卵凍結保存は、受精卵を夏の終わりまたは初秋までに採取し、凍結保存して翌年の春の繁殖シーズンに適切なレシピエント馬が受精卵を受取る準備ができるようになるまで保存することができます。また、凍結保存された受精卵は、液体窒素下で長期間保存することも可能となります。
レーザー穿孔装置を用いた馬受精卵の凍結保存の技術を利用した馬の妊娠と子馬誕生に2年続けて成功
写真左2022/8/14産まれ牡馬、右2022/8/11産まれ牝馬
2021年産まれ2頭も元気に成長中
「受精卵による障がい者乗用馬等の生産法確立事業」を通じて、受精卵の常温での遠隔輸送による受精卵移植技術、およびレーザー穿孔顕微鏡を用いた受精卵の新しい凍結保存法が成功しました。
これらの技術や研究事業については、学会発表や論文、ホームページや新聞メディア、大学関連の事業紹介などにより発表・広報しています。
将来的に、障がい者乗用馬や安全に乗馬できる乗用馬など、必要とされている馬の生産にこの技術を生かすことができ、絶滅が危惧される日本在来馬の保全にも応用できます。